【なぜ?】頑張っているのに成果が出ない… それ、「部分最適のワナ」かも?

はじめに「毎日、一生懸命仕事に取り組んでいるのに、なぜかプロジェクト全体が上手くいかない…」「チームのメンバーはそれぞれ頑張っているはずなのに、組織としての成果が上がらない…」そんな悩みを抱えていませんか? もしかしたら、それは「部分最適のワナ」に陥っているサインかもしれません。

今回は、私たちの身の回りに潜む「部分最適のワナ」について、その恐ろしさと、ワナから抜け出すためのヒントを分かりやすく解説します。

「部分最適のワナ」とは?

全体が見えなくなる落とし穴「部分最適」とは、ある一部分だけを見ると最も効率的で良い状態になっていることを指します。それ自体は決して悪いことではありません。問題なのは、その「部分最適」を追求するあまり、組織全体やプロジェクト全体の目的を見失い、結果として全体の効率や成果を下げてしまう「ワナ」に陥ってしまうことです。例えるなら、 サッカーの試合で、ある選手が個人技ばかりを追求し、チーム全体の戦略を無視してしまうケース。 その選手は目立つかもしれませんが、チームは勝てません。 オーケストラで、各楽器の奏者が自分のパートだけを大きな音で完璧に演奏しようとし、全体の調和を乱してしまうケース。 個々の演奏は素晴らしくても、美しいハーモニーは生まれません。このように、個々の要素が最善を尽くしていても、それが必ずしも全体の最善に繋がるとは限らないのです。

なぜ私たちは「部分最適のワナ」に陥りやすいのか?

では、なぜ私たちはこの「部分最適のワナ」に陥りやすいのでしょうか。いくつかの要因が考えられます。

視野の狭さ当事者意識の欠如: 自分の担当業務や目の前の課題に集中するあまり、全体像が見えなくなってしまうことがあります。「自分の仕事さえ終われば良い」という意識も、部分最適を助長します。

短期的な成果主義: 短期的な目標達成や目先の利益ばかりを追い求めると、長期的な視点や組織全体のバランスを欠いた判断をしがちです。

縦割り組織の弊害: 部門やチームがサイロ化し、それぞれの目標達成のみを追求すると、部門間の連携が疎かになり、組織全体として非効率な状況を生み出すことがあります。「あちらの部門の仕事だから」と、全体最適への意識が薄れてしまうのです。

評価制度の問題: 個人の成果や部門の業績のみを評価する制度の場合、従業員は自然と部分最適を優先するようになります。こんなところに潜む「部分最適のワナ」 具体例私たちの日常やビジネスシーンには、多くの「部分最適のワナ」が潜んでいます。

営業部門と製造部門の対立: 営業部門は「顧客の多様なニーズに応えたい」と多品種小ロット生産を望み、製造部門は「生産効率を上げたい」と少品種大量生産を望む。それぞれの部門にとっては最適でも、会社全体としては在庫過多や機会損失に繋がる可能性があります。

システム開発における機能追加: 各担当者が自分の担当機能の使いやすさや多機能性を追求するあまり、システム全体が複雑で重くなり、かえってユーザーにとって使いにくいものになってしまうことがあります。

個人のスキルアップと組織の目標: ある個人が特定のスキルを熱心に磨いても、それが組織の戦略や目標と合致していなければ、組織全体の力には繋がりにくいことがあります。

家庭生活での例: 家族それぞれが自分の好きなものだけを食べようとすると、栄養バランスが偏ったり、食費がかさんだりすることがあります。

「部分最適のワナ」から抜け出すために 全体最適への道では、どうすればこの厄介な「部分最適のワナ」から抜け出し、組織やプロジェクト全体を成功に導く「全体最適」を実現できるのでしょうか。

常に「全体の目的」を意識する: 「この仕事は、組織全体のどの目標に繋がっているのか?」「この判断は、プロジェクト全体にとって本当にプラスになるのか?」と常に自問自答する癖をつけましょう。

組織全体の目標・ビジョンを共有する: 経営層やリーダーは、組織全体の目標やビジョンを明確に示し、メンバー全員に浸透させることが重要です。共通のゴールを持つことで、各々が全体最適を意識した行動を取りやすくなります。

部門間のコミュニケーションを活性化する: 風通しの良い組織文化を作り、部門間の情報共有や連携を密にしましょう。お互いの立場や課題を理解することで、協力体制が生まれやすくなります。

俯瞰的な視点を持つリーダーを育成する: 目先の課題だけでなく、全体を俯瞰して判断できるリーダーの存在は不可欠です。そのような人材を育成するための研修や機会を提供しましょう。

評価制度を見直す: 個人の成果だけでなく、チームや組織全体への貢献度も評価する仕組みを取り入れることで、従業員の意識を全体最適へと向けることができます。

「なぜ?」を繰り返して本質を見抜く: 目の前の問題や個別の事象に囚われず、「なぜそうなっているのか?」「本来の目的は何か?」と掘り下げて考えることで、より本質的な課題解決に繋がり、部分最適に陥るのを防げます。

おわりに「部分最適のワナ」は、気づかないうちに私たちを迷路に誘い込み、努力を空回りさせてしまう恐れがあります。しかし、常に「全体最適」の視点を持ち、組織全体で目標を共有し、コミュニケーションを活発にすることで、このワナを回避し、より大きな成果を生み出すことができるはずです。あなた自身、そしてあなたの組織が「部分最適のワナ」に陥っていないか、一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。そして、もしその兆候が見られたら、勇気を持って全体を見渡し、より良い方向へと舵を切ってみてください。

為替相場が再び円安に??

どうも歴史が繰り返すというか、よく似ている感覚。

クリントン政権と為替相場に関連して「通貨に関する密約」という話が出ることがありますね。これは主に、1995年のプラザ合意後の円高の流れの中で、アメリカと日本との間で行われたとされる、為替レートに関する非公式な合意を指すことが多いようです。具体的に言われている内容としては、

①アメリカがドル安を容認する代わりに、日本がアメリカ国債の購入を継続する

②一定の円高水準で、それ以上の急激な円高を避けるために、日米が協調介入を行うといったものが挙げられます。

これらの「密約」とされるものの根拠としては、プラザ合意以降の急激な円高の流れや日米間の頻繁な経済協議、市場介入のタイミングや規模の不透明さなどが指摘されています。しかしながら、これらの「密約」の存在を明確に示す公式な文書や証拠は、現在に至るまで公開されていません。 したがって、あくまで憶測や推測の域を出ない話と言えるでしょう。当時の状況や両国の政策意図を考えると、何らかの非公式な連携や理解が存在した可能性は否定できませんが、それを「密約」と断定するには証拠が不足しているのが現状です。為替相場は、市場の需給や経済情勢、金融政策など、様々な要因によって変動するため、裏でどのような合意があったとしても、完全にコントロールすることは困難です。

どうなることやら。

なにかとトランプ関税が話題ですが・・・

そういえば小学生の頃、日米貿易摩擦って習ったな~~って。振り返ってみると、こんなことがありました。

1987年4月、当時のロナルド・レーガン大統領が日本のダンピング(不当廉売)への対応として、日本製のパソコンとカラーテレビなどに100%の制裁関税を賦課した。

なかなかですね。

今回の税率は全世界を対象に行われていますが・・・昨夜の報道では、中国が米国に対抗措置➡米国が即時対抗措置➡報復しない国には90日間の猶予を設ける・・・・株価大幅反発。 乱高下は続きますね。

まあ もともとの経済理論である 「ISバランス論」の分野から考えて、米国の抱える双子の赤字を縮小するためにはこうやって引っ掻き回して、全世界に考えさせるのも一つの方法ではありますね。

良くも悪くも、人々に「考える」きっかけが与えられたのは事実です。日本は今回の対策として国民一人当たり5万円の給付案とか報道されていますが、この意味の本質を考えてほしい。 ただもらえるからではなく、なぜ給付されるのか。 同時期に新発売の switch2に なぞらえてswitch給付金 だのという言葉が駆け巡っておりますが、一度立ち止まって 考えてみませんか。